2011年5月22日、まちに待ったその日がやってきました。

あの昨年の悪夢から1年、目覚めと共に1才の誕生日を迎えることができました。

朝起きて、深呼吸・・・

そして生きていることを確認

あれから1年経ったんだ・・・

こんなに長くてつらい1年間は生まれて初めてでした。
それを乗り越えることができたからか、この日の空気はいつもと違い、
特別においしかった気がします。
この日は特別なイベントはしなかったけど、
家族みんなで夕食をいただきました。
もちろん

(僕はノンアルコール)
昨年の今頃は・・・なんて家族みんなが口々に・・・
そんな家族の話を聞いていると、今だからこそ言える去年のお笑いエピソードが・・・。
①パパ・・・→術前ICUへ移動した際、妻と妹がすぐ面会へ。必死にパパを呼ぶものの反応
なし。でもなにやらもじもじ。もしかして?
すると ビッ

尻から返答があったらしい。妻いわく、
ベットに穴が開いたかと思うほどの大きさで恥ずかしかったとのこと。
私がしたと思われればダメなので、「ぱぱやめて!」すかさず
言ったみたいです。
②母 ・・・→僕が手術室に入る際、お守りをもって入り口自動ドアの前で一生懸命祈って
いたそうです。すると、ガッツン!
何事かとみんなが振り返ると、母の頭が自動ドアにはさまれていたらしい。
③父 ・・・→さすがに父も手術当日日は少々恐怖感、ストレッチャーに乗る足取りは
重かったらしいのですが、家族から
「早く、早く乗れって」
見たいな感じですごくせかされ乗せられたみたいで、
「いざとなれば家族でも恐ろしいものだ」なんて言ってました。
など結構ありましたね。当時はみんな気が張っていてわからなかったけど、
今ならおかしいって気づくが多々ありましたね。
まあ、こうしていえるのも1年を迎えられたからこそ、言えるんですけどね。
昨年は、家族も地獄の年だったともいます。
5月22日
私たち家族にとっては、これからも永遠に特別な日なのかも知れませんね(^_-)-☆
人気ブログランキングへ以前コメントにも書きましたが、僕には年3回の誕生日があります。
肝臓の誕生日(父の誕生日)、自分の誕生日、移植で生まれ変わった誕生日。
年でいえば、60、32、1才ですね。およそ30才の年の差ですね・・・
年3回の誕生日があるなんて普通の人は考えられないでしょう?
だから、自分の寿命はどのくらいであるかも大体はわかります。
でも、そんな未来のことばかり考えているとお先真っ暗で
毎日が楽しくありません。
実際、未来なんて誰にもわからないことであり、今日があっての未来です。
まずは、今日を一生懸命生きる・・・
そうすれば必ずいい未来がくることを信じてます。
希望は決して捨てることなく、今後も楽しんでいこうと心に決めました。
(ぶっちゃけ、IPS細胞で肝臓ができることを願ってます。)
これは僕が移植1年を迎えた時決意したことです。
同じ病気をされている方や、病気と戦っておられる方、
前向きに共に頑張りましょう

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