まさかの劇症肝炎発症!死の淵から生体肝移植を受け,みごとに生還を遂げた2児のパパのブログ

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移植前の僕が知らないこと 1

今日は僕が知らなかった移植前の状況を書いていきます。

すべて聞いた話ですが・・・

2010年5月10日の話から。以前ブログに書きましたが、先生から病状の

説明を受けた日です。僕に説明が終わったあと妻が個別に呼び出されていたそうで、

病状が悪いほうの道へ向かっているとの説明を受けたそうです。先生いわく、

本人に言おうとしたが、すごくあせっているのが見えたので過少に説明したとのことです。

当時を振り返れば、移植を最初に考え始めたのこのころだったと妻は言います。

その後病状が悪化し、5月17日になると先生から移植をするかの選択を迫られ

ることに・・・その際「よろしくお願いします」即答だったそうです。ドナーが妻と

いうことで話が進んでいきました。

翌日18日には保健所へ特定疾患医療受給者証交付申請(劇症肝炎は難病指定)。

この日先生から、ドナーはできれば血縁者が望ましいことや妻の肝臓が、もしかしたら

小さいかもしれないということでドナー候補者が父親・妹が追加され3人になり、

超音波の結果から候補が、父→妹→妻の順に決定する。

そして翌日19日からドナーの詳細検査実施。3人一気に検査すると時間がかかるため

父親から検査開始。血液・レントゲン・CT・超音波・内科・麻酔科・精神科などの

検査を実施。

精神科はなぜ?と思うかたもいると思いますが、移植後の結果しだいで責任を感じ、

自分を追い詰めたりする人がいるからだそうです。また自分の意思で

移植を決めたのか他者からの強制や、脅迫めいたことなどがなかったか などの

などの確認の意味もあるとか。生い立ちや、現在までのさまざまなこと聞かれたり、

書類に書いたりした見たいです。

すべての検査の結果、ドナーは父親に確定。父親は当時58才でした。

ドナーも決まったので早速手術を・・・と当時みんなが思ったらしいのですが

日本のでは、意識障害(昏睡状態)にならないと移植ができないらしい。

(中にはこんな状態からでも肝臓が持ち治し、回復する人も・・・)。

当時の僕は、こんな準備がされてるとも知らなかった。

死にたくないがために意識が落ちないよう一生懸命がんばっていたころである。

こんな僕との思いは裏腹に、家族みんなが願っていたこと、

それは・・・・・・

早く意識が落ちてほしいでした。



 
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ドナー候補・・・
私の場合は、父親は高齢で、適応される年齢を少し上まっていたので、弟と、妹と、主人が検査を受けてくれました。同じ血液型の弟が必死に、教授を説得して、自分がドナーになろうとしてくれたけど、喘息の持病があって、肺の検査結果で、すぐ、倫理委員会に通らないからとはずされました。妹も、子宮の検査でRIで異常が見つかり、でも、精密検査の結果、ドナー候補にはそのままなれるということで、最後まで検査してくれて、結果、妹と主人がどちらも同じ確立であることがわかりました。妹は、AB型で、主人はB型で、私はA型なんです。
妹は、私がなるよと頑張ってくれてたけど、妹の夫(私の義弟)が父に、泣きながら、納得できませんと電話してきたそうで、それはそうですよね・・
主人も一度先生達の前で、自分がドナーになると言ってくれたけど、次の日には断わったそうで、予定が延びていって、ドナーが決まらないなら、元の病院に戻って、脳死の方の順番待ちをするしかないけど、もう時間はないですと言われていたそうです。結局、担当の先生が、義弟を呼んで、話して下さって、義弟と妹が身内での話し合いの場をつくってくれて、私の実家で、娘が言うには、”修羅場”の話合いがあったそうです。そうして、義弟が、仕方ない、じゃあお前(妹のこと)がなれや、そのかわり、私の息子と娘はうちが引き取ると言い出したら、主人が自分がドナーになると言い出してくれて決まったそうです・・・あまり、人には話せない話をすることができて、ちょっとすっきりしました。
[ 2011/10/31 11:14 ] [ 編集 ]
もってる・・・かもね
コメントを読ませていただきましたがすごく胸が熱くなりました。(僕と父は同じA型でした)
僕も移植後ではあるが、もし自分がドナーだったら・・・って考えたことありましたよ。
結果、怖いとか、死んだらどうしようなど恐ろしいことしか浮かびませんでした。
まして、移植前の医師の説明なんておそらく最悪のことばかりしか言わないとおもうし・・・
旦那様の断ったことや義弟の納得できませんはすごく理解できます。
先生から聞いたのですが、自分がドナーになるって言ってた人が、断ることってけっこうあるみたいですよ。
中には移植手術ができなくなって亡くなった方もいらっしゃるみたいです。
そんな中、僕の父もそうですが、ドナーの決断をしてくれた旦那様にe-460です。
命を懸けて救ってくれるなんてすごいことだと思います。

2010年、僕もリラさんもどん底でしたね。サッカー日本代表の本田やハンカチ王子が
言っていた「もってる」・・・。
どん底から脱出できた僕とリラさんは、きっと何かもってるに違いない・・・
[ 2011/10/31 22:59 ] [ 編集 ]
ドナーになる
パパさんもリラさんも胸が熱くなるお話です。当時のドナー候補さんの気持ち、痛いくらいわかります。 私の場合、母は移植しか治療はないと言われた時、即OKでしたが母は断固しない!まだ肝臓に余裕ある状態だったので4年悩みました。でもだんだん肝臓は悲鳴を上げはじめ、2009年は半分は病院生活。黄疸、腹水も激しくなり、本気で考えないと時間がないと言われはじめ、毎日ケンカしましたが、移植にも検査が必要だとわかり、2010年大学病院へ。結果は移植OK。私もいつ緊急手術になってもいい様、10㌔のダイエットをしました。検査から退院の時、医師に何ヶ月もしないうちに戻って来ると言われたけど、母は、しないから!と言って帰りました。結局1ヶ月後、急変して主治医から余命1ヶ月宣告。翌朝母に電話をし、主治医から余命宣告を受けた事を聞き、手術する?今日決めないと私も検査するんだよ。私はあげるけど、もらう?と聞きました。母は、あんたがいいならもらうよ。まだ死ねないもんね。お願いします。と言われ、すぐに大学病院に連絡し、ドナー検査の予約。うちは私と母がO型で、父と姉は違うので、姉と話し合った結果候補は私一本で。姉は恐怖と不安で、あんたに委ねると。でも、それが普通ですよね。だから冷たいなんて思ってないです。多分、私がなれるよって自信みたいな物があったし、検査は1日で済ませてもらい、2週間後の結果まで私は入院の準備を始めた。結果、まだでしょ?なんて声は私には届かない。もちろん結果はOK。もう準備は出来てた。肝臓の大きさは本当にギリギリで、医師も心配だったみたい。あの時の私は、母にもう一度、味のあるご飯を食べさせたい。と思ってたけど、でも母を助けたいという気持ちより、私が母を失いたくないという気持ちの方が強かったです。ドナーになるきっかけや気持ちは本当にそれぞれだと思うけど、必要とする人の為じゃないと出来ないです。私は1㍉も後悔してないです。 
[ 2011/11/22 16:18 ] [ 編集 ]
感動しました!
自分の経験したことと照らし合わせながら、読ませていただきました!(^^)!
もしかしたら、僕の父もベンツさんのような気持ちだったのかも知れませんね。
僕が移植でなければ助からないって聞いたとき、すごく号泣したらしいです。
そしてみずからドナーになることを強く志願したみたいですし。
普段、父とこういう話なんてすることないし、ベンツさんが教えてくれないとわかりませんでした。
ありがとうございます。
[ 2011/11/23 00:33 ] [ 編集 ]
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